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奪還してもなお、悲惨な状況は続きます
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- ウクライナ軍が9/11にクピャンスクのロシア拠点を奪還してから2週間。日本ではまるでもう解放されたかのような報道がされていますが、現地から直接届く情報とはずいぶん異なります。
ロシア軍は森の中や廃墟の中にまだまだ残っており、意味のない攻撃で多くの建物を破壊し続けています。まだウクライナ軍が到達できていない市内各地では、ロシア軍に見つかると容赦ない攻撃を受け、道には惨殺された死体が無数に転がっているそうです。 -
今もなお数千人の人が地下シェルターに暮らしています
- また電気、ガス、水道がすべて止まっており、人々はまだ自宅の地下シェルターでの生活を強いられています。シェルターにいる人の多くは高齢者です。食べ物がないだけでなく、持病の薬やインシュリンやが切れた状態のお年寄りも多くいます。
ここ数日の間に避難用のバスで100人近くの人がクピャンスクを出ることができています。私が日本で支援しているヴァレリのお父さんも9/19に避難しましたが、4日間真っ暗なシェルターで飲まず食わずのまま座っていたそうです。
ロシア軍の残党に見つかれば避難バスさえ攻撃の対象となり、逃げられない人もいます。身を寄せる場所がなく、どうしても土地を離れられない高齢者もいます。 -
20時間かけてクピャンスクに物資を届ける人たちがいます
- リムコ ユーリ氏(57歳)。クピャンスクの教会の牧師を20年勤め、2014年のウクライナ侵攻開始とともに従軍牧師としてウクライナ軍兵士の心のケアと、侵攻地域の住民の心のケアに当たってきました。現在はスロバキアとの国境沿いにあるウジホロドという町に避難しています。
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- 9/11、ウクライナ軍がクピャンスク近くの町まで到達するとすぐに、支援物資を積んでクピャンスクに向かいました。仲間たちが様々な形で資金提供を行い薬や食べ物、毛布やおむつなどを積んで20時間旅をします。途中道なき道があったり近くで砲撃があったりします。
クリムコ牧師は今後も2週間に一度のペースでクピャンスクを訪れます。
9/23には、クピャンスクの人たちが調理ができるようにガスコンロとガスボンベを積んで家々に配りました。 -
- 支援物資を準備する様子 ユーリさんの奥さんと娘さん
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- 出発前の様子
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クピャンスクでの支援の様子
- 砲撃のない時を見計らって地域を回ります
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- 何日も食べ物を食べていなかった人もいました
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- 恐る恐る地下から出てきたおじいさん
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クピャンスクを救いたい理由
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- 水、電気、ガスもないところで何千人もの人が(そして多くは高齢者が)縮こまって命を繋いでいる。それだけで十分助けたい理由になりますが、クピャンスクは私にとって特別な場所です。
私が身元保証人として日本に受け入れをしているデルカッチ一家のオレーナ&ヴァレリの故郷が、ここクピャンスクです。ユーリさんは、オレーナ&ヴァレリの友人のお父さんです。
クピャンスクはいち早くロシアの制圧下となった地域です。
6/13日、デルカッチ一家が来日した時は、オレーナの両親と連絡が取れていない状態でした。
その後お兄さんがクピャンスクまで行き、生存確認はできたものの食べるものがなく庭で収穫できたわずかなもので飢えをしのいでいる状態でした。
お兄さん経由で少しのお金を送ったりはしていたものの、戦況が悪化しお兄さんも両親のところへ行く道がなくなってしまい、ますます孤立しています。
ロシア制圧下では情報の統制も厳しく、ロシア派に転じる近所の人たちもいたといいます。
クピャンスクのロシア拠点は奪還されましたが、まだロシア軍が多く残っているため両親が住む村までは支援が届いていません。
ユーリさんも、村まで行こうと試みていますが、まだたどり着けていません。 -
皆様へのメッセージ
- 本当は、シリアだってロヒンギャだってミャンマーだって、ウクライナに限らず支援したいのです。助けが必要な人がいて、助ける余裕があるのであれば助ける。地球は1つなのだから、地球人みんなで何とかやっていくしかないと思うのです。
戦禍のウクライナの人たちだけで支援しあっていくのには限りがあります。
ソ連に生まれ、激動の時代を生きてきたリスペクトすべきご高齢の方々が、狭くて暗い地下室で絶望的な状況を耐えています。
皆様の1,000円が彼らに希望を与えます。
あと少し、もう少し。まずは戦争が終わるまで。
ご協力をどうかよろしくお願いします。 -